終活ノート

お墓の悩み

皆さん、「終活ノート」という言葉を聞いたことはありますか?「終活ノート」とは、命終えた時や、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病にかかった時に、個人の希望する内容(意志)を予め記したもののことです。一般的には「エンディングノート」と言った方が馴染み深いかもしれません。
 
「終活ノート」の具体的内容としては、延命措置を望むか否か、医療及び介護等の施設に関する希望、財産情報・その相続、お葬式のこと、お墓のこと、家系図、自分史等です。

これらは、残された家族が困らないように「終活ノート」を記しておく、ということが根底にあるのだと思います。
または、自身の生きた証を残したいということもあるかもしれません。
 
確かに残された家族が、手続や行動を起こす際に円滑に進めるのには役立つでしょうし、「終活ノート」を記した方の意志を尊重することにもなります。
 
それは尊いことです。
しかし、家族が本当に困るのは、手続きや遺産相続ではありません。
大切な方を亡くすという、言葉では間に合わない悲嘆です。
 
もう二度と会えないという寂しさや喪失感などです。
そのことは言い換えるならば、もう一度会いたいということです。
その想いは叶わないのでしょうか?
 
「終活ノート」に、家族への感謝や、いつも応援していること、本当に願うこと等を記しておけば、「終活ノート」の文字が生きた言葉となって、亡くなった方の願いとして生き続け、家族は言葉の中に生きた故人の存在と何度でも遇う(あう)ことができます。
 
そうすると、悲しみの中にも、亡くなった方の願いと共に生きて往くことができます。
 
仏教でいう終活とは「終える為の活動」ではありません。命終えても活きるということが「終活」です。
 
活きるというのは、一つとしては家族の命が活きるということです。
活きるというのは、輝いている命に気付くということです。
それは何故ならば、願われた尊い命であるからです。
身の命は終えても、人の存在としては死ぬことはないのです。
少なくとも、「終活ノート」の言葉に願いとして存在するのです。「終活ノート」の言葉、
 
つまりは願いに、家族は生きる力を貰うことができます。
まさに願いが活きるのです。
 
家族に生きる力を与える、それが「終活ノート」の大切な意味だと思います。
 
 
そして、終活というのは何よりも「自己の生きる道」である。
 
死を通して生きることを見つめることである、私が活き活き生きることである、
ということを強調させていただきます。
 
 
生なくして死はありません。また、死なくして生もありません。

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